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投機した時間の軌跡

【読書メモ】間抜けの構造

目次

作品詳細

作品名:間抜けの構造
作者:ビートたけし
出版社:新潮文庫
発売日:2012年10月20日

間抜けの構造 (新潮新書)

間抜けの構造 (新潮新書)

 

要約

「間」と言うのは、日本人が長年かけて育んできたものである。

  • 風俗で説教するオヤジ
  • 党員の失言を、党首に聞くマスコミ
  • 小さい選挙ほど、大きな構想を打ち出す政治家

全てが、間抜けの典型である。
しかし、芸人だけは間抜けが勲章になることもある。

「間」は漫才において、リズムである。
現代漫才のように、ボケも突っ込みも高速でもいいし、スリムクラブのように間をたっぷりとってもいい、ツービート時代のように片方が高速でもいい。
リズムがあってはじめて、崩すことなど多くのことが出来るようになる。

テレビの「間」

「間」をちゃんと取れないと、伝えることもきちんと伝わらない。
ex.討論番組などの論者の、呼吸のタイミングなど

否定から入るのが悪い理由は「間」が作られないためで、肯定から入れば「うん、そうだね」と言う「間」が入る。このことが会話や討論でも重要な技術である。

水商売の「間」

ホストはなるべく「間」をあけない、これは我に帰させないためである。
銀座のホステスも金を使わせて、上手に断ることの「間」の管理がうまい。

スポーツの「間」

ピッチャーは「間」の作り手で、悪ければ牽制で濁してもいい。どんな剛速球を投げる投手でも、たいした速度を出せないピッチャーに成績が負けてしまうのは、ピッチャーは「間」を作ることが本質だからである。

ゴルフやボクシングでも、力をこめる瞬間が「間」である。

スポーツのおける最も重要な「間」は生まれる時代である。一番盛り上がっている時代に生まれることこそが「間」がいいことになる。

映画の「間」

時間がそのまま「間」であり、その操作は勘であり、ほぼ無意識下のものである。
空間にも「間」がある。アングルや切り取り、配置などさまざまな要素からなる。
意外なことに、殺陣は斬られる役が「間」を作り、斬る役を誘導している。
役者同士の「間」の取り合いも撮影では、発生する。

たけし映画は、説明をしないことで「間」をとり、想像の余地を多く残している。
映画を因数分解して考えている。数学も捨てたものではない。

「間」を埋めようとする病
  • テレビ番組のテロップ
  • ドラマで、執拗に相手の名前を呼ぶこと
  • 3D映画
  • グルメ番組での食レポ

全て白黒つけてしまう、想像力に任せない、頭の悪い人用の粗悪品である。

「間」の弊害

「間」というのは、素晴らしい文化であるとともに、過剰に空気を読むという性質上、イノベーションのようなものは起こりにくく、いわゆるガラパゴス化が避けられない。 

「間」が全て

一番肝心な、何のために生きているかなんてものは結局わからない、だから人生なんて生まれてから死ぬまでの「間」でしかないと思うことが大切である。
しかし、世の中から「間」が締め出されているから、ギスギスしている、みんなで暮らしにくい世の中を作っているのだ。
一度、「間」について振り返って考える時期が来ているという事だろう。

感想

大学1年のころに、携帯を買い換えるときの待ち時間で暇つぶしに入った本屋で流し読みをしたと言う思い出のある本書です。

お笑い界、映画界と幅広いジャンルで活躍する、たけしさんの本ですが、書いてあることは一貫して「間」が大事であると、ひたすら説いています。
対人関係はもちろん、芸術から人生まで、全てを「間」と言う日本の不思議な言葉で表せていることに注目して、本にしていること自体がすごいことだなと思いました。

自分のやりたいことの「間」を把握することで、守るもいいし、崩すのもいいし、まずはそれをつかむことが重要なのかなと思いました。
たぶん、それは実践でしか身につくことはなくて、だんだんと多くの人から排除されているものなんだろうなぁとこの本から読み取れました。
「間」を把握できるように、頑張っていきたいです。