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投機した時間の軌跡

【読書メモ】チーズと文明 上

めちゃめちゃ長いので3分割にすると思います。
けど、僕としては今のところ興味深い話ばかりで今年一の本かもしれません。

この記事中では四大文明までのチーズと役割や歴史をようやくしました。
次回は、読み込む分遅くなるかもしれませんがギリシャやローマ時代のチーズとその周囲ついて書いてありそうです。

チーズってこんなに早くからあった歴史的なものなんて知りませんでした。

目次

こんな人にオススメ
  • 四大文明以前の歴史を広く浅く見たい方
  • チーズの意外に長い歴史を知りたい方
  • 四大文明でのチーズの扱われ方を知りたい方
読むと得られること
  • チーズがどのようにしてできたか
  • 宗教との関連性
  • キリスト・ユダヤ以前の神話・宗教
  • 文明以前の人間の動向
  • 四大文明でのチーズ
読もうと思った理由・期待したこと

本当に何気なくいつも通り、図書館でふらっと本棚へ行きフィーリングで手に取りました。

軽くチーズの歴史なんか知ってみようかなと思いました。今までにも「ビールの科学」 という本や「ダイヤモンドの科学」という本など、人類が深く関わってきたものの本というのは手にとっていて、大体ハズレがないというのが僕の印象なので進んで借りて見ました。

作品詳細

作品名:チーズと文明
作者:ポール・キンステッド
訳者:和田佐規子
出版社:築地書館
発売日:2013年6月10日 

チーズと文明

チーズと文明

 

要約

チーズの起源

人類は考古学的にB.C.90C~85Cの時代に肥沃な三角地帯にて農耕をできるようになったものと考えられている。農耕をすると同時に草木を得にヤギや羊が周辺に住み着くようになった。

哺乳類は成人するにつれてミルクから栄養を摂るための酵素を減らしていくため、ミルクは乳幼児用に集められていたものだと考えられている。その後世代を経るにつれて成人してからも酵素を持ったままの個体が現れ出す。

チーズ製造はB.C.7000年代の高温加工技術の発見で陶器が作られるようになったことから始まった。ミルクの保存が可能になり、その中で発酵したものからカードとホェイを分離しチーズを作るようになったと考えられている。

他にもレンネットによる凝固チーズについても酪農をする上で発見していてもおかしくないため、レンネット製法のチーズもあったと考えられている。

B.C.6000年ごろには人口の増加と天然の浸食作用によって肥沃な三日月地帯を捨て各地に移動した。その際にはミルク・バター・チーズを含む混合農業をどの地域にも持ち込んだことが、動物の骨と陶器の分析で判明した。それが周辺の文明の基礎となる。

 

文明のゆりかご

ウバイド人はB.C.5000年代から1500年以上も発展もしない村を築いたが、B.C.3000年頃に目覚ましい発展をして2000年近く続くシュメール文明を築き上げる。

鋤の発明で牛を使った農耕・B.C.4000年代に大きく広がった耕作地の休耕地を放牧地化で放牧が盛んになり、羊毛・織物やミルクの生産の増加が大きな要因となった。

ウバイド文化の神殿の建造も大きく関わっており、1500年以上同じ場所に連続で18の神殿が建造、時代とともに巨大化していった。神殿は宗教以外にも経済・貯蔵機能を有し、それを中心に繁栄し、宗教的信念が共有されるという人類史の新しい章が始まる。

  • メソポタミア文明においてもチーズは重大な役目を担っている。
    豊穣と性行・季節と収穫の女神、貯蔵庫の守り神でもあったイナンナは神話において権力を授ける夫に対して見返りにミルクとチーズを要求する。王は毎年イナンナとの結婚のためにチーズを捧げ、それが国王への帰依となっていた。
    神殿は羊を管理し、品種改良しミルクの質を上げ、硬かった毛まで改良し毛織物をウルクの主要産業へ成長させた。このチーズに関わる会計処理などによって楔形文字が作られ、文明の基礎となった。
  • エジプトではメソポタミア神話を継承したが、ファラオを神の地位まで引き上げたことや、よみがえりの概念による巨大墓の建造が特徴と言える。
    略奪や崩壊から免れた貴族の女性の墓を調べると、チーズの使われたコース料理が見つかった。
    エジプトはパピルスに文字を記したためシュメールの粘土板と違い現在まで残っていなくチーズの製法などはわからない。
  • インダスでは神殿が見られず、文字も未解読なため社会組織は謎である。
    しかし交易によって乾燥チーズが輸送されていたことはわかっている。
    チーズ製法の登場はヴェーダの中で、遊牧民アーリヤ人が古代インドに乳製品をもたらし宗教儀式でも重要になったと描かれている。
    インド人の食事においてフレッシュチーズが重要なことはジャイナ教や仏教が説いている。
    熟成チーズの発展が遅れた原因として、牛の崇敬や動物の殺生への反感という文化や食物の清浄という発想が挙げられる。
  • 中国ではチーズがなくとも米や粟によって食文化が支えられ、異国の文化の強い文化的保守主義でチーズは日の目を見なかった。
貿易のゆくえ 青銅器とレンネット

アナトリアで青銅や精錬技術が発展はウルク拡大と同時期で、合金と織物で交易が行われた。そのためメソポタミアの高度な宗教や政治制度がアナトリアエーゲ海地域に入り、その後アナトリアを支配したヒッタイトに受け継がれた。そのためヒッタイトでは神々への供物がチーズとなった。

ヒッタイト人の残した楔形文字を解読するとチーズの記述が多く、熟成工程のような記述や、イチジクの樹液(植物性レンネット)の記述があることからチーズの凝固をしていたと考えられる。

B.C.1000年代末には遠距離海上貿易によって、チーズがシリアからカナンに輸送されたという資料が発見されたため、この時代には遠距離移動に耐えられるチーズが発明されていたこと、輸送リスクに見合うほど高価で、数が作られていたことがわかる。

クレタ島ギリシャ本土についても貿易圏に巻き込まれており、メソポタミアからの文化の継続性が見られ宗教儀式にはチーズを使っている。

 

ヨーロッパではB.C.3000年ごろ気候変動によって苦境に立たされるも、森が寒冷化で空地へ、高山の樹木限界線が下がったこと、そしてメソポタミアから入った技術によって酪農と同時にチーズ製造が始まったことが花粉と有機物質分析から判明した。

そしてこれは「山のチーズ」と呼ばれ別種のを発展させるに至り、ヨーロッパ世界の覇者ケルト語族の間に根付いていった。

 

B.C.1000年代に鉄精錬技術が高まり、ボタイ人が馬の家畜化を世界に広げ、二輪戦車が使われるようになり支配者層と被支配者層の差が広がった。

この頃、地中海地方では干ばつに見舞われ飢饉が発生し情勢が悪化したことが資料からわかっている。地中海世界は混沌とし、ミケーネ文明もヒッタイトも崩壊、エジプトも弱体化してしまう。その中から新しい民族ケルト人が現れた。

この頃の動乱の中、東方のレンネット凝固のチーズが西方へと伝わった可能性が高い。

感想

すごい本と出会った感じがします。

歴史的な断片をたくさん集めてきて、現在の各地方のチーズ製法の中にも文脈が受け継がれているだろうという推理や聖書の記述から読み取るその時代の常識からのチーズや人間の姿の推察など、驚くほどきっちり納得できて大切に読みたいと思わされました。

300ページのハードカバーで、まだ100ページほどしか読み進めていませんが内容が濃くて読むのにも時間がかかるし、要約もどこを削ってどこを出そうか迷ってしまいます。

全部が必要といえば必要ですし、全部書くなら要約の意味がないですしね。

この著者はヴァーモント大学食物栄養学部の教授で、大学でも「チーズと文化」という講義をしているみたいで、ヴァーモント大学の学生が羨ましくなりました。

僕も大学時代にこういった講義受けたかったですね。一般教養科目は他の学生たちとは違って割と面白さで選んでいたので、こういう講義がもっとあれば嬉しかったんですがね。

フロイトの著書に関する講義だとか、EUにおける租税回避の講義だとか面白い講義もありましたが、どうしても面白いものだけじゃ組めないのが残念でした。

明日できるかはわかりませんが、次の要約をやっていきます。