【読書メモ】意識はいつ生まれるのか 前半
目次
作品詳細
作品名:意識はいつ生まれるのか
作者:マルチェロ・マッスィミーニ ジュリオ・トローニ
訳者:花本知子
出版社:亜紀書房
発売日:2015年5月25日
こんな人にオススメ
- 現代の脳科学が解明したことを知りたい方
- 現代でも多くのことが謎に包まれている意識について知りたい方
読むと得られること
意識という未だに誰もが説明できていない謎のものを、情報統合理論によって説明していて意識とはどこにあってどういうものなのかを一緒に考えさせてくれます。
読もうと思った理由・期待したこと
一時期、脳の本を読んでいた時期があって、また復習がてら読みたかったからです。
前は「欲望する脳」という本を読みましたが、脳がどのようにしてこんな非合理的な風にできたかを説明してあってとても面白かったです。現代では、昔の心理学のようなあやふやな理論ではなくて脳からのアプローチを取っていて、どんなに人間が非合理で原理的な欲求の名残を残しているかというのを脳科学は解明しているので、面白い分野です。そのことをもっと知りたいと思って手に取りました。
要約
この本は8章構成で、1-9,2-8,3-7,4-6章でシンメトリックなQ&Aになっており、5章では1~4章の疑問を解き明かすための鍵となる理論を提供してくれます。
この記事では、1~4章の疑問の部分を要約していきます。
1章 手のひらに乗った脳
意識とは不思議なもので、たった1.5kgの脳に搭載されている。
しかし「その意識について読むに値するものは何もない」と「心理学事典」の序文には記されているほど、意識の定義からゴールまで様々で中世の神学よりもはるかに混乱した状態にある。
そんな脳というものに、宇宙すらも想像できる意識が備わっているのは何故なのだろうか。本書ではそれを数字やデータだけでなく感覚的にも納得できるよう追求していく。
2章 疑問が生じる理由
哲学者たちはものの特性と精神の特性から二元論を考え出し、「哲学的ゾンビ」という完璧に人間の動きを再現する意識のない生き物を空想することで意識の存在に疑問を投げかける。
IBMのワトソンのようなスーパーコンピュータでもチューリング・テストは越えることはできないと思われるが、「中国語の部屋」と呼ばれる思考実験から無限の回答の中から最適解を返し続ける「デジタルゾンビ」という概念もある。
私たちは、脳の中にもゾンビを飼っている。それは小脳や基底核である。音楽の練習を例にとるとわかりやすく、最初は意識しなければならないことがだんだんと無意識にできるようになるもののことである。これが「頭蓋骨の中のゾンビ」である。
いつの日か、今あるニューロンエミュレート計画のようなものが実現したとき、それは意識というものを解明したと言い切れるのだろうか。
3章 閉じ込められる脳
意識とは実に不安定なもので、手術の麻酔中に意識を取り戻す患者は0.1%いることが分かっているし、麻酔が効いたかどうかを意思表示できる方法をとった場合には33%の患者が意識を持っていることが分かっている。問題にならないのは麻酔の効果で記憶を忘れるためである。
昏睡状態からの移行には様々な種類がある事が分かっている。
- 脳死...回復の見込みなし
- 植物状態...呼吸などの無意識は回復するが、意識が回復しない状態
- 最小意識状態...目などわかりやすい反応が返せない状態
- ロックトイン症候群...目だけを動かせる状態
- 完全覚醒...元通り
こういった患者を判断するときの意識テストは意識について考える上で参考になる。
- 身振り(視覚・聴覚・嗅覚・痛覚など)によって複雑な動きができるかのテスト
- 患者に言語情報を与えることで脳内でニューロンが活性化するかのテスト
- 脳の代謝活動・ニューロンの電気活動を直接分析し、意識の発生と完全相関した脳活動を特定すること
1.2については患者のアウトプット・インプットによる反応で現在でも使われている手法である。3については、脳研究の中で脳の活動量は意識と関係ないように見え、活動様相の研究を見ても全く相関は見られず、意識と脳の間の鍵となるものが見つからない。
意識というものがよく分かっていないため、意識があるのに伝えられない患者は多く、どうにか解消する方法はないだろうか。
4章 真っ先に押さえておきたいことがら
小脳のような全体の80%のニューロンを持ち、情報処理・運動制御をしている複雑な組織に意識が宿るわけでもなく、視床-皮質系のような単独の処理をしている簡単な部分に意識が宿る理由は定かではない。
一般に「睡眠に落ち、かつ夢を見る事がない場合に消えるもの」が意識の定義となっていて、旧来の発想では脳は夜休んでいるものだと思われたため受け入れられていた。
しかし最近では、睡眠中も脳は起きている時と同じくらい活動していることが判明した。違いは、非連続的で不安定なことだけであった。
夢は、意識について重要なことを示唆してくれている。夢において、人間は網膜なくして「見て」脚を使わず「歩き」全てを神経と筋肉が繋がっていない状態でやってのける。意識が生まれるためには外部世界との関わりは必要なく、意識は脳の産物であることを教えてくれる。
網膜の伝達リズムは変動するのに知覚上は安定していること、失明したとしても鮮やかに場面を思い出せること、体が麻痺しても意識があること、脳梁を切り離すと別々の意識を宿すこと、感覚器官と意識に0.3秒の差が生まれること、明らかに不思議なことの解明が待たれている。
感想
問題提起・疑問の部分を読み簡単にまとめました。
言われて見ると意識って不思議なものですよね。特に2章のデジタルゾンビの箇所では、人間も経験や直感と言われるものから、人間としての低性能で「中国語の部屋」のような最適解を返し続けているのかもしれなくて、意識と感じているものも意識ではなくて、ただ意識だと思い込んで最適解を出している結果だとしたらという堂々巡りも考えてしまい、哲学ってこういうものなのかと少し哲学に踏み込めたような気もします。
4章の夢の箇所も、網膜使ってないのに「見て」脚を使わないのに「歩き」、外部世界との接触なしに意識は生まれるというのが、言われて考えてみればその通りですが、意識って別に世界とは関係もなく成立するものなんだなと感心してしまいました。
僕が僕であることは当たり前のことですが、その当たり前のものを調査したり考察するとこんなにも脆いもので、掴みようもないものだとは興味深いと思いました。
次回は、これらの章に対する解答に当たる部分なので楽しみです。