【読書メモ】老子入門
ブログに時間に終われなくなったので、いま読みたいジャンルの本を読めるようになりました。
これからは更新頻度と引き替えに、思想書だったり、興味のある分野が中心になると思います。
目次
こんな人にオススメ
- 中国に流れる思想の根底から理解していきたい人
- 現代の思想に疲れてしまっている人
読むと得られること
- 東洋的な自然のままを受け入れる方法
- 中国戦国時代の前の時代をどう感じていたか
読もうと思った理由・期待したこと
中国思想を勉強しようと思い手に取りましたが、なかなか僕のレベルでは入門すら許されないほど難しい奥深いものでした。もっと経験を積んでからなのかもしれません。
作品詳細
作品名:老子入門
作者:楠山春樹
出版社:講談社
発売日:2002年12月10日
要約
老子とは
どんな人物かはわかっておらず「老」も「子」も敬称であって、著作は匿名の形で書き上げられたため「老子」と伝わっている。
「史記」の中に孔子の師として「老子伝」が書かれ、その後の「荘子」「礼記」にも現れるが、漢代に入ってからの虚構・伝説であると判明している。
しかし、儒者であっても漢〜清までこれを信じたことは見逃せない事実である。
「老子」は20世紀後半にあった2種類の写本発掘によって、現在の書の形になった時期が判明し、それ以前には今の形よりも短い章になっており章の数は多かったこと、さらにそれ以前の原本が想像させられる構成であった。
思想としては、あらゆる人の営みに失望した結果として「天地自然」に世界を求めた。
そのため、万物の一つに過ぎない人間は謙虚に全てを創造した大自然の法則に従うべきという発想の元、それを仮称「道」として説いていく。
柔弱謙下
万事慎ましく控えめに、己の分を知って背伸びせず、無知無欲を信条とし、絶対に人と争うことをしない(p.31)
曲全の道のような一見マイナスの状態がプラスに転じることや、名をあげた最高の瞬間には引退することなど、満ちれば欠けると言う盛者必衰の破滅を避けるために「失うもの」ベースで考えることがいいのではないか。
「天下之至柔、馳騁天下之至堅」天下の至柔は、天下の至堅を馳騁す
「無有入無間、吾是以知無爲之有益」有る無きものは、間無きに入る。吾れここを以って無為の益あることを知る。
最も柔らかいものが、最も堅いものを動かすと言う事実から、柔弱こそが有益な振る舞いである。
ここから「道」の思想を逆説をうまく用いながら展開していき、無為や無不為の考え方などを説く。
「道」は形而上的な「道」と形而下の政治処世の「道」とに別れている。
道
「道可道、非常道」道の道とすべきは、常の道にあらず
世間で唱えられている理想とする道「道可道」は全て、その理においてのみ通用することで「道」こそが時を超えて普遍的に通用する唯一絶対の「常道」である。
「道常無爲、而無不爲」道は常に無為にして、而も為さざるは無し
無の哲学といわれる「老子」だが、無とは有の否定の総体としての無である。
「無為」とは何もしないことではなく「無作為」であって「あるがまま」「自然のまま」ということ。そして「道」は全てを成し遂げると述べている。
- 人ー有為ー剛強尊大ー不為
- 道ー無為ー柔弱謙下ー無不為
このような図式で「老子」は剛強尊大な、人による争いの世に「あるがまま」にすることで大為(全て)を成せると説いた。
「無為」と「無不為」の矛盾の説明として、「無為」の「為」は形而下であり、「無不為」の「為」は形而上の道の世界における「為」である。
「天地不仁、以萬物爲芻狗」天地は不仁、万物を以て芻狗となす
「聖人不仁、以百姓爲芻狗」聖人は不仁、百姓を以て芻狗となす
「天地」とは道のこと、「聖人」とは道を修め「徳」を持った人のこと
「芻狗」とは祭事のために藁で作る犬のことで、祭り中のみ神聖なものとして扱われ、終われば藁くずとして捨てられるもの
天地は全てを生み出すが、天地自身には恩恵を与えているという自覚が無く、聖人も人に対して同じであるとしている。
上徳不徳、是以有徳
下徳不失徳、是以無徳
上徳無爲、而無以爲
下徳爲之、而有以爲
上仁爲之、而無以爲
上義爲之、而有以爲
上禮爲之、而莫之應、則攘臂而扔之
故失道而後徳
失徳而後仁
失仁而後義
失義而後禮
道→徳→仁→義→礼という序列を設け、この順に尊いものであり、徳が廃れることで仁、義、礼と移り変わっていくと説いている。
世相批判
- 「絶學無憂」学を断てば、憂い無し。
- 「大道甚夷、而民好徑。」大道は甚だ夷らかなるも、而も民は径を好む。
- 「爲腹不爲目。故去彼取此。」腹を為して目を為さず。故に彼れを去りて此れを取る。
- 「大道廢有仁義。智惠出有大僞。六親不和有孝慈。國家昬亂有忠臣。」
大道廃れて仁義有り。智恵出でて大偽有り。六親和せずして孝慈有り。国家昏乱して忠臣有り。
「絶聖棄智、民利百倍。絶仁棄義、民復孝慈。絶巧棄利、盗賊無有。」
聖を絶ち智を棄つれば、民の利は百倍す。仁を絶ち義を棄つれば、民は孝慈に復す。巧を絶ち利を棄つれば、盗賊有ることなし。 - 「上徳不徳、是以有徳。下徳不失徳、是以無徳。」
上徳は徳とせず、ここを以って徳あり。下徳は徳を失わざらんとす、ここを以って徳なし。
このように、世の中に必要だと思われている文化・文明的な無駄なもののせいで世の中は悪くなっていると考えているのが老子で、その考え方には気づかされることも多い。
感想
まず読むのに非常に時間がかかりました。
長い時間かけて読みましたが、理解出来ているとは思ていません。3度も読み直しましたが入って来ないのは、僕の人生経験がたらないからだと思います。
さらに解説の中には、他の書である「孔子」「孟子」「荀子」などの他の書にも影響を与えているような解説があり、それらの書も読もうと試みた結果、訳が分からなくなり断念しました。
一応、僕が読めた範囲でまとめて見ましたが、見苦しいものになってしまっていると思います。ご了承ください。