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【読書メモ】君主論 中

長くなってしまったので3つに分けました。ここでは振る舞いについて要約しました。
君主論は余すとこなく読み込みたいですね、人間対人間の何かにも広く使えそうですしこれだけの時代を超えて翻訳されているわけですしね。

【読書メモ】君主論 上 - 2億5000兆フェムト秒のひと休みしてかない?

目次

作品詳細

作品名:君主論
作者:マキアヴェッリ
訳:大岩誠
出版社:角川学芸出版
発売日:1967年4月30日
原作発売年:1532年

君主論 (角川ソフィア文庫)

君主論 (角川ソフィア文庫)

 

要約

戦・軍勢について

戦とは、君主が唯一考えるべき事柄である。
これを考えることを避けたために、失墜するものは多い。また、軍務について思いを巡らせないと、自分の手勢から尊敬されず、維持できないからである。

そして、よい国とは、良い国法と良い軍勢からなるものである。
軍勢は、己が手勢・傭兵・加勢、あるいは混合勢がある。

傭兵

この連中は、無益で危険である。

その理由は、一致団結がなく、野望に燃え、規律もなく、不忠実者揃いであるからで、味方には強くあたり、敵には腰抜けである。
また傭兵の大将というのは、優れているなら忠実にはならず自身の出世を考え、優れていないのであれば足を引っ張るため、全くいいところがないと言える。

加勢

この連中は軍勢として役に立つが、招いた者にとって間違いなく有害である。

その理由は、敗北した場合には再起の望みがなく、勝利した場合にはその加勢の虜になってしまうからである。その結果、待っているのは自身の破滅であり、傭兵よりもたちが悪い。傭兵であれば、規律も一致団結もなく、給料もこちらから出しているため、手を出しづらくまとまりがないため撃破しやすい。

混合勢

加勢や傭兵よりもはるかに優れるが手勢に劣ると言える。

フランス王シャルル7世の手勢配備と、その子ルイ11世の傭兵雇用による混合勢の完成で危機になり、スイス人の加勢なしには他国に太刀打ちできなくなったことから説明ができる。

手勢

この軍勢こそが、最も信頼できる軍勢である。

その理由は、上記の心配のない軍勢は、自国の民からしか出来ないためである。

君主国の国力の測定

 まず、他人の庇護が必要か否かで測ることができる。

  • 自力で対応できるのは、巨万の富や大軍を持つと考えられる
  • 他力に頼るのは、城壁に逃げ込み防戦になると考えられる

後者におすすめなのは、都の備えを強固にし、城外の土地は一切無視することである。
人間は骨の折れる仕事にはには反対するからであり、守りが堅く領民は国を慕っていれば手軽に攻められないからである。

もし城外の土地に何か財があれば、その持ち主は辛抱できなくなってしまうし、一緒に篭城することで感情を合わせる効果も期待できる。

君主の振る舞いとは

人間は移ろいやすくバカなのだから、基本的には何を言われても思われても良い。

君主に必要なことは、平時には偉大で尊敬を集め、戦時には悪人にもなれる術を持ち、必要に応じて使い分ける知能を持つことである。
本質的には、国を奪われないことのみが君主に必要な能力・振る舞いである。

大まかさと物惜み

大まかさは尊敬を集められるが、度をすぎないように心がけるべきである。
その性質故に民への重税となるためで、それにより民は貧乏になり尊敬をしなくなる。

一方、物惜みであると見かけ上で悪評は立つが、十分な備えができることになる。その結果、民に重荷を負わすことなく防衛・戦争ができる。その姿を見れば、民の評判は大まかに振る舞った場合より良くなるのである。

これには時と場合があり、侵略戦争の場合には異なる場合がある。他国のものを奪うわけだから懐が痛まずに大まかに振る舞うことができるため、手勢からの評判を上げることになると考えられる。

残虐と慈悲

民が忠勤を励むくらいには心を通わせ、慈悲の心を見せなければならない。しかし殺人・強盗が起こらぬような残虐さを持つこともまた、慈悲に繋がることと心得る。

人間とは移ろいやすく、調子者で打算の塊であるから、彼らの言葉は真に受けるべきではない。また、人間は怖がられる者ものより慕われる者のことを馬鹿にしてかかるため、畏怖の心を持たせ刑罰を恐れさせることによって、従うように仕向けなければならない。

最後に、恐れられるのはいいが、憎しみを向けられることは避けるべきで、それは民のものを掠め取り、奪わなければいつでもできる。

法と暴力

人間は基本的に善ではないのだから、法だけでは足りず獣心、罠を見抜く狐の心・狼どもを殺す獅子の心の2つを持たなければならない。

どちらか一つしか持っていなくてもいいが、持っているように見せかけられること、また、常に一つの状態でなく必要に応じて使えることが必要である。

悪道・獣心を使わない時には、慈悲深く・律儀で・人情味に富み・真心があり・信心家であると、眼でしか判断できない俗人に思わせなくてはならない。
世の中は移り変わるもので、必要とあれば悪道にも踏み込む必要があるからである。悪道は慈悲につながる残虐として使うことも忘れてはならない。

軽蔑と憎悪を受けないために

上記の通り、軽蔑と憎悪さえなければ自分の仕事は成就する。そのためには悪名を被っても構わないと言える。

憎しみは貪欲さから生じ、軽蔑は腰抜けと見られることから生ずる。したがって、大きな器量・勇猛心・重厚・剛健の心を見せる努力を怠らないべきである。そして、民に対し公明に対応し、自分を騙そうとするものなどいないと噂を広げるべきである。その名声を勝ち得てしまえば、崩しづらい国として見られ、他国から攻め入られることが少なくなる。

それが完成した時には、国内の謀反を心配しなければならない。なぜなら、謀反を企てる者は君主さえ殺せば世の中は良くなると思い込むものだし、また民も調子者で打算の塊であるからである。

打算の塊である俗人は、謀反に与することがかえって身を危うくするとわかると挫けてしまうため、確実な利益を用意し、暮らしに満足させてやれば謀反は防げると言える。普通の民を打算と名声と尊敬によって味方につけることがいちばんの防衛策である。

【読書メモ】君主論 下 - 2億5000兆フェムト秒のひと休みしてかない?