【読書メモ】読書について
最近は、図書館で本を借りて読んでいるので、なかなか自分では買わないような本が多いです。
目次
作品詳細
作品名:読書について
作者:ショウペンハウエル
訳者:渡部昇一
出版社:PHP研究所
発売日:2012年8月31日
原作発表年:1851年
要約
ショウペンハウエルは悲観的な哲学を構築した人物。青年期の父の自殺と母との性格が合わなかったこと、母と妹は作家として成功し、ショウペンハウエルのいう「うわべだけのリテラトゥール(文学・歴史・哲学)」が多く売れたためこと、また自分の本は60を超えるまで評価がされなかったためことが悲観的な哲学に繋がったと考えられる。
読書の闇
読書とは、自分で考える代わりに他の誰かにものを考えてもらうことであり、一日中読書をするとなると考える力を次第に失われていく、読書の時に安堵感がするのはそのためである。
多くの学者が馬鹿なのは、読書をしすぎたことにより、読んだ内容が精神に跡をとどめることが少なくなった弊害である。そのため、読書の後は試作することが大事で、それをしなければ大抵の得たものは失われてしまう。
新刊たちは十年後、全てが生き残らない悪書であり有害ですらあり、しかしそれを読むことが社交の場では必須とされるこの世は嘆かわしく、そのクソ作家たちによる真の教養の破壊は成功したと言える。
読書の光
あらゆる時代・人間から傑出した精神を生み出した作品だけが成長を促す。そしてそれを反芻・精読・再読することによってのみ、人は身につけることができる。
歴史にさえも影響を与える思想は、最強の実利的な力となる。
良書を読むための条件は、悪書を読まないことである。人生は短く、時間と労力には限界があるためである。しかし素晴らしい作品達に関しては、探す必要がなく、不死のものとして永遠にはつらつとした青春の姿で悠然と歩いている。
読書について・その他
書物を買うのはいいことだが、それを読むための時間も変えるならば。大抵は書物を購入するだけで、我が物にしたと勘違いする。
学問・文学・芸術は30年ごとに破産宣告を受ける。自らの不条理に耐えられなくなるためだ。
諸国の国民が自慢する偉大な作家や芸術家たちの存命期の冷遇を記して伝えて欲しい、それにもかかわらず、それを続けた愛の強さを伝えて欲しい。
感想
読書をしなければ、この本の内容を読み取れないのに、最初の方で読書に対する著者の思いから始まってしまうため、「読書なんてクソだ!」という読ませる気がないのかな、ともとれる感じで始まります。
しかし、ショウペンハウエルの言ってることは最もな部分が多く、最近一日一冊と宣言して読み続けてる僕には、刺さる内容が多いのも事実でした。
要約では、ショウペンハウエルの言葉の部分を要約しました。もともとこの本がすごく短い本なのかわかりませんが、現代の自己啓発的な書き方で、ショウペンハウエルの短い言葉の後に編訳者の1~5ページほどの解説が入る構造になっています。
その開設の部分では、編訳者の意見・考えが多分に入れてあり、ショウペンハウエルとほぼ逆のことを述べている箇所もあります。
いちばん目に付いたのは、悪書は必ずしも悪ではないと編訳者が述べている箇所です。ショウペンハウエルは、悪書は読む必要などまったくないといいますが、編訳者は、食べ物の食物繊維に例えて、一見意味のないようなものも食物繊維が腸に対して必要なように、悪書も考える力をつける過程において重要な役割を持つのではないかと言うことを述べ、僕はそれに賛同したいです。
また、編訳者は歳を召していることもあって、歳とともに読むに絶えない文学は多くなると言いますが、若い僕からすると、なんだこの老害と思ってしまいます。しかし、人間と言うのは、色んな経験によってそういう面が出てくるのは仕方のないことで、一意見として飲み込み、それでも若いころに読んだ現在では読むに耐えないと言った作品達にもそのころに読む価値があったと認める編訳者のすごさと言うのも読み取れました。
この本が全てではないですが、この本で読書と言うものを見つめなおすいい機会になったと思います。これからの読書の方針なんかを考え直してみたいと感じる一冊でした。
それでも一日一冊というプロジェクトは進行し続けます。ただ考える時間と言うのは、より多く取ろうと思ってます。